木の枝切断作業!

2009年11月02日

アート展で開催するワークショップの
「等身大から始めよう —自然木で組み上げる」
使用する木の枝の切断作業をしました。
木の枝をご提供頂いたホウリーウッズさん有難うございます。
自然あふれる森の中のキャンプ場での作業!
癒されますね!ぜひ、アート展期間中、久留里でアートを体験して
森の中でキャンプするのも良いかもね!

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ワークショップのご案内
と き   11/22(日)※雨天順延 23日(月)
      12:30〜16:00終了予定
ところ   堀内薬局横特設会場
体験料   100円
講 師   千葉大学 加藤修教授・千葉大生「CHIPS」
      

キーワード
       自立する
       等身大 
       自然木(材料)
       結ぶ (制作動作)

テーマ
 テーマは若者に考えてもらいたい内容として、自己の存在の把握を期待し「自立」とし、作品サイズは、まず着実な一歩という意味から「等身大」とした。材料に関しては、自然素材に触れる目的から自然木を使用し、触覚だけでなく、その重さを体感することも目的とした。制作方法は、テープや接着剤、釘等を一切使わず、紐で枝と枝を結わき組み立てることに限定した。小学生に対しても、コンピュータの機器操作に関しては国をあげて支援しているが、人間の日常生活にもっとも密着しているべき基本的動作が危ぶまれる傾向は事実で、それに対して一石を投じる。また、制作中、行き来する「つなぐ」「結ぶ」という単語と、空に伸びてゆくオブジェの視覚的印象が相乗的に働き、好印象な意味合いとしてそれらが記憶に刻まれることを期待している。


富谷智

2009年10月31日

富谷智さんは現在、武蔵野美術大学の講師としてご活躍。
空間演出デザイン(スペースデザイン)・立体造形が専門
今回、久留里商店街の鳥健さんとバンカムさんの間の空き地に
藁のブロックを使用した「藁の家」作品が現れます!
作品名「くるりとワラ」
作品に圧倒されること間違いなし!必見です!

加藤修

2009年10月29日

加藤修氏は千葉大学教授で今回のアート展では
学生の皆さんと二つのワークショップを開催します。
加藤先生ご自身の作品展示会場は清水屋倉庫。
花輪の金属軸と光を使用した作品を展示予定です。
作品名「微熱光」どんな作品でどんなメッセージが
表現されるのか?楽しみです。

修工房サイト

寺井浩一展

2009年10月17日

今日から10月25日(日)まで
ギャラリーでは「寺井浩一展」を開催。
オープン前に寺井先生・姉川先生と
NPOメンバーにて展示をしました。
とても素敵な作品ばかり!
ご高覧下さい。

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寺井浩一展
期間:平成21年10月17日(月)〜25日(日)
時間:午前10時〜午後5時(最終日午後4時閉館)

ギャラリー河内屋
〒292-0421
千葉県君津市久留里市場158
お問合わせ
0439−27−3383

尾崎房子

2009年10月10日

久留里駅近くの正源寺には、「加勢観音」とよばれる
観音さまがおまつりされています。里見氏と小田原北条氏
との合戦の際、里見方に加勢し勝利をもたらしたという
霊験の伝わる正源寺に作品を展示するのは
藍染作家の尾崎房子さん。
「田舎道を歩くと、ふと目に入るのどかな草木をイメージした作品」を展示予定です。

衛守和佳子

2009年10月08日

衛守和佳子(立体アートディレクター)さんは
今回のアート展では久留里駅からすぐの清水屋倉庫に展示。

久留里に対して足を運ぶ毎に、人々の温かさを感じ、
また強く「水・命・文化」を感じた町。
米を備蓄している倉庫の中に
人の命の流れと華やかさを感じられる作品を予定!

姉川佳代子展A

2009年10月07日

今日から郷里(ふるさと)にあるギャラリー奏風にて
姉川佳代子展
平成21年10月7日〜25日(月&火は休館)まで開催します。

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姉川佳代子ガラス絵展
〜水をテーマに〜
Legend of water

川で遊んだ子供時代、その水の流れを飽きもせず見入っていたものだ。その水が私達の命の水ということを自覚して久しい。この一帯の生活水源が久留里の小櫃川の支流であり、またこの町の生活水は地下から湧き出る生きた水という、二重に水に恵まれた稀有な町である。
 穏やかな水面の姿を見せている時は人の心を和ませ、集わせ、親しみを与えてくれるが、大雨や雪害や深霧となった時は恐怖を抱かせ生き物に距離を置く存在となる。水はいろいろなドラマを生む。そして伝説化して時代を流れる。
 旧川俣屋の廃材になる運命だったガラスの棚板を見た時、どうしても水と
この町を結ぶ作品を創りたくなった。ほこりと汚れにまみれていたガラスを
水≠使ってみがく時、また不思議さを想った。いつも水である。太古からの私達はずっと水に生かされている。これから先も美しい水が絶えることのないよう願っている。