久留里藩主&横須賀藩主・大須賀忠政公没後400年

2007年11月02日

今年2007年は、久留里藩立藩時の藩主・大須賀忠政の没後400年にあたります。


忠政は天正9年(1581年)、現在の静岡県浜松市に生誕。徳川四天王のひとり・榊原康政と、初代横須賀城主・大須賀康高の娘との間に生まれ、榊原氏の嫡男でありましたが、大須賀康高に男子がなかったことからその養子となり、大須賀氏を継ぎました。こうして第二代横須賀城主となった忠政ですが、天正18年(1590年)、徳川家康の関東入封にともない、上総国久留里3万石を与えられ、久留里城主となります。忠政の久留里への配置は、安房の里見氏への牽制の意味があったと考えられています。


関が原の合戦を終えて慶長6年(1601年)、古巣の遠江国横須賀に6万石で転封。5代目の城主として復帰し、城下町の基礎を作るなど治政に力を尽くしました。しかし慶長12年(1607年)、病床に臥すところとなり、9月11日死去。27歳の若さでした。墓所は静岡県掛川市の撰要寺にあり、去る10月18日、大須賀郷土研究会により400回忌法要が営まれたそうです。


忠政が久留里を治めたのは10年ほどの間。地元には、忠政の時代に久留里市場の新町の通り(県道32号線)が整えられたとの言い伝えが残っています。


参考:

この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック